カテゴリー
火薬 火薬・爆薬の歴史

黒色火薬(その1)

人類最初の火薬は古代の中国で発明、というか、偶然にできました。

「偶然」というのは、火薬を発明するために頑張ってたわけではなくて、他の目的でいろんな化学実験をしていたら「なんか、すごい燃える薬ができちゃんたんだけど、どうするよこれ?」ってな感じだったからです。

その時期は諸説ありますが、だいたい6世紀から7世紀にかけてだと言われています。日本だと古墳時代から飛鳥時代。大化の改新が645年(7世紀)です。

西暦850年頃に唐の時代の中国で書かれた『真元妙道要略』という本で、「硫黄と鶏冠石(二硫化砒素)、硝石とはちみつを混ぜて熱したら、家が全焼して本人も大やけど」「危険だから絶対にマネしないでください」という失敗エピソードが紹介されています。

有以硫黄雄黄合硝石并蜜焼之焰起焼手面及燼至舍者

硫黄と雄黄(硫化砒素を主成分とする石黄という鉱物から作られた顔料)を混ぜて、硝石とはちみつを加えて熱したら、手や顔をやけどして家も燃えちゃった人がいるよ。

この人が作ろうとしていたのは火薬じゃなくて不老不死の霊薬。『真元妙道要略』では、錬丹術師(不老不死を研究する人。錬金術師に近いイメージ)が研究していた35種類の霊薬の処方が紹介されています。

不老不死の薬を研究していろんなモノを混ぜていたら、よく燃える薬ができちゃった、というわけです。

なすすべもなく家が全焼してしまったのは、それほど燃えると思っていなくて消火の準備が不十分だったか、尋常じゃない速さで燃え広がったからか。多分、両方でしょう。

意図せずできてしまった尋常じゃないくらいよく燃える薬。混ぜた物質の中に、その後1,000年以上使い続けられる黒色火薬の原料に通ずるものが3つありました。

硫黄、硝石、はちみつ(炭素)です。

無煙火薬と称される高性能な次世代の火薬が19世紀に登場するまで、火薬の発明以来1,000年以上の長い間、黒色火薬(black powder)は火薬界のオンリーワンでした。

黒色火薬。見たまんま黒い粉。ヒネリなし。
Lord Mountbatten(CC 表示-継承 3.0@Wikipedia)

黒色火薬は、硫黄、木炭(はちみつと同じ炭素)、硝石を混ぜて粉や粒にしたものです。

これらは、火薬に必要な2つの要素、可燃物と酸化物です。

  • 硫黄と木炭は可燃物
  • 硝石(硝酸カリウム)は酸化物
硫黄
Rob Lavinsky(CC 表示-継承 3.0@Wikipedia)
備長炭。お米が美味しく炊ける。
STRONGlk7(CC 表示-継承 3.0@Wikipedia)
硝石(硝酸カリウム)
Walkerma(パブリック・ドメイン@Wikipedia)

熱や衝撃・摩擦など、外部から加えられた力をきっかけとして、(外部から酸素を取り込むのではなく)自身が持つ酸化物を使って可燃物が急激に酸化していくのが火薬の燃焼です。

火薬の進化の歴史は、効率よく燃焼させる可燃物(硫黄・木炭)と酸化物(硝石)の配合割合の探求と、効率的な生産方法の研究の歴史でした。

黒色火薬の配合割合

江戸の昔から続く日本の伝統的な花火職人は、火薬の適切な配合割合のことを「十二一(トニイチ)」と呼んでいました。

硝石(酸化剤)の分量を10とした時、木炭を2(硝石の分量の20%)、硫黄を一(硝石の分量の10%)とするという意味です。

出来上がった火薬を100%とすると、硝石77%、木炭15%、硫黄8%という計算になります。

硝石が8割を占めるんですね。ということは、硝石を安定的に入手できることが黒色火薬製造のキーとなります。

木材を蒸し焼きにして炭化させてつくる木炭は、森林資源の豊富な日本では日常的に使われる燃料なので、入手は難しくありません。

炭焼小屋
タクナワン(表示 – 継承 3.0 非移植 (CC BY-SA 3.0))

硫黄も、火山列島ニッポンではおなじみな鉱物資源です。平安時代の末期には中国の宋(南宋)への主要な輸出品の一つとなっていました。用途はもちろん火薬の製造。鎌倉時代の末期にモンゴル(元)が日本に攻めてきたのも、火薬製造のために必要な硫黄の入手が目的の一つであったというくらい。

余談ですが、花火大会でよく臭う「火薬の臭い」は、火薬が燃焼した時に発生する硫化カリウムが空気と反応して生成する硫黄化合物です。

知床の硫黄山
Washiucho(パブリック・ドメイン@Wikipedia)

大変なのは硝石(硝酸カリウム)です。中国やインドでは産出する硝石ですが、日本にはありませんでした。

日本で火薬の消費が急激に増えたのは16世紀の半ば、鉄砲が伝わってきた戦国時代の後半です。

全国の戦国大名が鉄砲を使うようになり、消耗品である火薬の需要を高価な輸入品だけではまかないきれないため、火薬の国産化が試みられるようになりました。そこで問題になるのが日本では産出しない硝石。

無いなら作ればいいじゃない!ってことで、日本の各地で硝石の製造が試みられました。織田信長とガチ勝負をしていた本願寺が関わっていたそうです。

材料は、人や家畜の糞尿・魚のハラワタを腐らせたモノ・干し草の灰・土などなど。

  1. 糞尿や腐ったハラワタからアンモニア(NH3)を取り出す
  2. アンモニアが土中のバクテリアの作用で亜硝酸HNO2に変化
    • 2NH3 + 3O2 → 2H2O + 2HNO2(亜硝酸の分子HNO2が2つ)
  3. 空気と触れることで酸化して硝酸(HNO3)に変化
    • 2HNO2 + O2 → 2HNO3
  4. 土中の酸化カルシウムCaOと反応して硝酸カルシウムCa(NO2)2に変化
    • 2HNO3 + CaO → H2O + Ca(NO3)2
  5. 灰の炭酸カリウムK2O3と反応して硝石KNO3をゲット
    • Ca(NO3)2 + K2CO3 → CaCO3 + 2KNO3(硝酸カリウムKNO3の分子が2つ)

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に指定されている富山県五箇山・白川郷の合掌造り集落は、加賀藩の火薬工場でした。相馬藩(福島県)の火薬も有名でした。

白川郷
photoAC

明治時代になると南米のチリから安価な硝石が輸入できるようになり、国産の硝石は廃れてしまいました。

チリから輸入される硝石は硝酸カリウムではなく硝酸ナトリウム(NaNO3)ですが、一般にチリ硝石と呼ばれます(これまたヒネリなし)。

チリでしか採れない物質かと思いきや、微量ながら日本でも採れるようです。宇都宮市の大谷寺(おおやじ)に、重要文化財の磨崖仏(岸壁を掘って作った仏像)があります。

毎年春になると「いわしお」と呼ばれる白・緑・茶褐色のまざった物質が仏像の表面に現れ、梅雨時になると消えてしまうそうなのですが、「いわしお」の白い部分はチリ硝石なのです。

大谷寺の観音堂。周りの白い岩(大谷石)がチリ硝石を含んでいる。
あばさー(パブリック・ドメイン@Wikipedia)

現在市販されている黒色火薬の配合割合はだいたい次の通りです。

  • 硝石:60~80%(火薬の用途によってばらつきがある)
  • 木炭:10~20%
  • 硫黄:8~20%

黒色火薬(その2)へ続く